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時の流れ

命日

今日は母の命日です。4年前の今日、夕方に亡くなりました。緩和病棟の病室で、妹達が私と付き添いを交代して帰ろうとした時に。みんながいる時に旅立ちました。クーちゃんの写真を傍に。つい昨日のことのようです。月日の経つのは早いものです。

母の亡くなる7年前に7つ年上の父が亡くなりました。仲良く同じ歳で亡くなるなんて。

不思議なことに二人は誕生日も同じ日でした。凄い偶然です。

父が亡くなった時に、”こんなに悲しいことがあるんだ”と未だかつて経験したことのない喪失感に見舞われました。悲しすぎて苦しい、という辛さ。息をするのも苦しい。虚しさに、自分も同じ所へ行きたい、と思いました。いなくなって、存在の大きさに気付いたのでしょう。自分でも驚くほどです。

いつかは亡くなる、と心構えがあったとしても、実際に亡くなると、とても衝撃が大きいです。亡くなった人のいない世界が虚しく感じられ、全てがどうでもよくなり、生きる意味が感じられなくなります。気を付けないといけない時期だと思います。個人差はあると思いますが。

母が亡くなった時は、直後に自分が喪主で忙しく考えることが多かったので、時間差がありました。そのせいか、後を引きます。いつまでも。

遺族は悲しい時に思いっきり悲しむ時間が必要で、そうしないと後を引く。

悲しい気持ちを無理やり誤魔化しても、結局引きずることになる。

思い出して悲しむ時があってもいいと思う。

時には後ろを振り返る時があってもいいじゃないか、また前を向くことができれば。

そして、時間が過ぎれば、落ち着いてくる。忘れるのではなく、悲しみも、楽しかったことも全てを含めて心に落とし込める。楽しいことだけでなく、これまでの悲しみも、これからの悲しみも全て含めて生きるということ。受け入れるということ。抗わず。

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雨が降りそうです。クーちゃん、お外に行きたいと鳴いてます。今朝はたっぷりお散歩したのに。

今日もかわいい♡